漆工画家 青士!

漆工画家 青士!備前岡山の産。曽祖父は、シーボルトの直弟子の石井綜謙氏。
宍戸の庄に戦後来られてこの地で生を全うされたお方です。東京美術学校教授の石井士口氏のご子息。青士氏も東京美術学校に学び、漆工画家となる。
おいおい述べてゆきたいと思います。
この地にありて個展をお開きになりた様ですが、それを果たせずこの世をお去りになられました。
私がブログでその夢の一端を果たせたらと思います。
後記:この漆絵は、形見としてお亡くなりになられてから奥様より頂いた記念のお品でございます。
この地にはたくさんの青士氏の絵が残っていると思いますので発掘できたらと思います。
おしのべのどうろくじん様 道祖神社

道祖神社の鳥居

道祖神社本殿 道祖神社新築寄付芳名板には、昭和55年12月建之と書かれておりました。

俳句の絵馬 驚くことに、田園の俳人と句会を開いていた、柏井の園部 泰山氏奉納の絵馬でした。一水は、田園の俳人の俳号か?驚きを隠せません。身近なことに気がつかないものです。
野生のかざぐるまの花とウグイスのさえずり! [自然・人生]
今は、なかなか野生のかざぐるまは見つけるのが難しい世になりました。
10数年前、種から育てた風車が見事に花をつけるようになりました。
その、楚々とした花の先からウグイスのさえずりが聞こえてきます。



宍戸の庄の随筆家 橘 さと江女史

「特別何という事もなく過ぎてしまったかの70年、生きた証として原稿用紙の升目を埋めてみました。」という、土と共に生きてこられた随筆家、橘 さと江女史の随筆集土とかかわるをご紹介したいと思います。
私は、「薄墨桜見物」を読ませていただきました。

薄墨桜は、根尾谷の伝説を見てこられたかの古木のようですので、特に興味がありました。
継体天皇、源の悪源太義平に纏わるそれが不思議でなりません。
継体天皇の銅像は、福井市の足羽山にもあります。
義平については、福井県の和泉村に青葉の笛伝説として語り伝えられております。
又この辺りは、水戸天狗党の逃避行の道すがらでもあるようです。
私も数年前、開田高原の木曽駒を乗りこなすという夢、土岐市の友人宅を訪れるという長年の念願、そして油坂峠越えでなく、根尾谷を通って池田村に出るというコースを辿った旅がありました。
あいにくの雨で、根尾谷の薄墨桜は霞んでしか見る事が出来ませんでした。

根尾谷から、温見峠を越えて、真名川ダム、そして大野への道を辿ろうとしたのですが、
時の豪雨は、それを叶えさせてはくれませんでした。
やむなく、岐阜の大垣に出て、東名に乗り北陸自動車道を通って北潟の浦に行きました。
思いで深い旅でした。
最後に女史の短歌を一つ:
今生の名残とぞみる薄墨の
桜の下に夫と立ちゐて
元名主助左衛門家のかね女様


元名主家の老女として、ご活躍の旧姓須貝 かね子様と免状
かね女様コメント:ひと夏の稽古料90銭は当時の稽古料としてはお高こうございました。
稽古の終わった後は、愛宕山古墳の下の晒らし井で涼みながら、
おむすびを稽古仲間と食べるのが、
日課となっており、それが又楽しかったですわ。
筆者コメント: 83歳ですが,矍鑠(かくしゃく)としておられます。
お若い時分に鍛えられたからでしょうか!
笠間の宗匠 桂 北居

笠間の宗匠 桂 北居の俳画がありました。
”田園の俳人 覇樹命” ”柏井の俳人 園部 泰山”の宗匠格の”桂 北居”氏は、
東北の医科を出られて、故郷笠間で、眼科医としてご活躍の他に、
近辺では知る人ぞ知る高名な俳人であったそうです。
涸沼川の流域に住まいする方々が、涸沼会という句会を開いていたそうです。
私は生まれるかそれ以前であったため、記憶にはまったくありません。
ただ、父から寝物語に、涸沼会の事は聞かされておりました。
俳画も何部か譲り受けております。
ブログを初めて、このようなことにめぐり合えるのは大変うれしい事です。
あせらず調べてゆきたいと思っております。
初御空 翠らん 遠く聳えたり
おしのべの石仏

おしのべの石仏には、元禄五壬申年十月十九日 奉造立 十九夜念佛諸願成就
の銘が読み取れます。
約200百年前の方々はどんな考え方だったのでしょうか。
追記:子供のころから、寮の御田植祭などで出入りしていたのですが、
しみじみ見るのは、高齢者のお仲間入りをしそうなお年になって初めてです。
わからない物ですね。
量輔先生のお弟子さん 権現山のジッ様
権現山のジッ様について
権現山やジッ様については、もちょっと調べて記事にしたいと思っております。
何か情報がおありでしたらお寄せください。

昨夜の情報から、権現山と思しき草むらに行って見ました。
権現様の祠は、いつの日までかあったようなのですが、
いつの間には、草生す山となり、何もそれらしきものは見つかりませんでした。
いつの世にも、これが世の習いかと思い、写真のみ撮ってきました。









